映画制作から派生する2つの事例
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映画を2本作っているんだけど、まったく賞には無縁でいまだ無冠。
子供の頃からそういうものには縁がない。
そんな僕に映像コンテストの審査員のハナシが。
当然、躊躇した。
いや無名で賞も取っていない監督に審査なんかされたくないだろー、と。
あと普通に考えてそんなレベルではないし。
でもそのコンテストの内容を見て納得。
「身体障害者のセクシュアリティに関する」映像作品コンテスト。
まぁ、そのまんまの映画撮ってる人あんまいないからだろうなぁ。
というかむしろ「マイノリティとセックス〜」を応募して賞金が欲しい!と思ったけど応募規定から外れていた…。
でいろいろ考えて引き受けさせてただきましたが、他の審査員の方々を見てなんかドキドキした(俺、浮いてるな〜)。
http://d.hatena.ne.jp/noir_staff/20090517
というわけで行ってきました。
慶応大学にて。
審査後、なぜか学会の分科会「障害とか性とか」にもパネリストとして参加。
そういうものに参加する予定を把握してなかったのでちょっとびっくり。
なんか朝まで生テレビみたい(隣の席が社会学者の宮台真司さんだっただけに)とかバカみたいなことを考える。
「障害者」「性」の研究者、学者、専門家・関係者の中、ただの映像ディレクターなのであきらかに浮いていたが、浮いているなりに発言をさせていただいた。
宮台さんがご自身のコメントで何度か僕の「マイノリティとセックス〜」を引き合いに出してくれたのも興味深かったな。
とても意義のある時間だったしその問題をより深く考えることにも繋がった。
僕の映画は社会問題で誰も手を付けていないギリギリをフィーチャーしさらにパロディ化しているので撮影中も編集中も毎日胃が痛くなるくらい神経尖らせて全然楽しくない。
楽しむ為に映画を作ってはいないのでそれが当たり前だった。
でも作品があることによって確実に触れることのなかった世界とコミットできているなぁと最近思う。
今年2月と3月にロスの大学でも盛り上がったし、会うはずがなかった人たちとの議論には刺激がある。
そういう意味でやっと楽しめるようになってきた。
A
以前コメント書かせていただいた「キリトル」の監督・田中さんと撮影監督・諸江さんと飲んだ。
諸江さんは偶然8年前に一緒に仕事したことがありそれ以来の再会だった
(ちなみに、その8年前の仕事はNYが絡んでいるプロジェクトでその途中で9.11が起こりそれがキッカケで僕は「Fragment」を撮り始めた)。
飲んでいると諸江さんが、
「『キリトル』は佐々木さんがいなかったら僕は参加していない映画なんだよ」
と言った。
??
8年前、諸江さんと一緒にしていたその仕事でスタッフとして僕は友人のカメラマンSを誘った。
↓
そこで知り合うSと諸江さん。
↓
数年後、ライブハウスの撮影を依頼されたSだったが、別仕事で行けず諸江さんに依頼。
↓
そのライブハウスでVJをやっていた田中監督と知り合う諸江さん。
↓
数年後そのコンビで『キリトル』完成。
↓
「Fragment」を観にきてくれた田中監督と僕が知り合い諸江さんと再会。
まぁよくある話。
バタフライエフェクトというか「風が吹けば桶屋が儲かる」的な(違うか?)。
もしくは僕が好きなポール・オースター的な偶然。
何事もそうですが、ほんのちょっとで運命って変わってくるんだなぁとか当たり前なんだけど。
もちろん僕だけではなく様々な偶然が重なってひとつの作品が完成されたわけで、まぁそんな大袈裟な話ではないんですが、どこにでもある偶然の一例として面白いなぁと思いまして。
でもなにもやっていないのにひとつの映画に参加させてもらった感じがしてなんか嬉しい。
- 幸せな将来のために!!
- 09.12.19. 09:02
- 起業も投資もできない一般人の私にも成功者への道がありました。 ぜひあなたも権利収入のチャンスを手にしてください。
- インターラッシュ
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